
2026年(第44回)毎日ファッション大賞の表彰式が10月20日、東京都千代田区の大手町三井ホールで開かれ、大賞を受賞したシーエフシーエル(CFCL)の代表兼クリエイティブディレクター、髙橋悠介さんらが受賞の喜びや今後の抱負を語った。新人賞・資生堂奨励賞はテルマ(TELMA)のデザイナー、中島輝道さん、鯨岡阿美子賞はビームス(BEAMS)の設楽洋さんと故・小室知子さん、話題賞はデサントの「新水沢工場」が受賞した。表彰式後には、中島さんによる受賞記念プレゼンテーションも行われた。Text & Photo : Shinichi Higuchi(樋口真一)
毎日ファッション大賞は、毎日新聞創刊110年を記念して1982年に創設された。ファッションに携わる人々の優れた業績をたたえるとともに、新たな才能の発掘やファッション文化の振興を目的としている。
大賞CFCL髙橋悠介、日本発のグローバルブランドを目指す

髙橋さんは、工場や繊維関係者、商社、社員、取引先など、ブランドを支える人々に感謝を述べた。2021年に新人賞を受賞した当時は2、3人だった社員が100人近くに増えたものの、「前回の新人賞の時は一歩目を踏み出したような感覚だと話したと思うんですけども、いまだに2歩目、3歩目のような感覚です」と振り返った。
今後の目標は二つ。一つは日本発のグローバルブランドへの成長。「グローバルブランドにもいろいろな定義がありますが、少なくとも主要都市の大通りに路面店ができるような規模にはなりたいと思っています」と話し、その目標を登山に例えて「高い頂はまだ雲に隠れていて、どこに入り口があるのやらという状態ですが、最近、山頂への道はこちらだという、登山口が見えたような感覚があります」と現在の心境を明かした。
また、二つ目の目標は服づくりを通じて社会を良くしていくこと。2030年までのカーボンニュートラル実現や認証素材使用率100%を目指しているが、認証素材の使用率は約90%から伸び悩み、温室効果ガスの削減にも課題が残るという。髙橋さんは「人権の問題や女性の社会進出の問題など、まだまだできていないことがたくさんあると思っています。服を作るという行為を通して、社会を良くしていきたいと思っています」と語った。
最後に恩師の三宅一生さんに触れ、「私の恩師でもある三宅一生さんは、ここに4回、5回と立たれていると思いますが、私もそういうふうになれたら」と今後への意欲を示した。
新人賞テルマ(TELMA)中島輝道、時間とともに育つ服の価値

中島さんは、顧客や産地の職人、取引先、スタッフ、家族への感謝を述べ、「この賞は決して私一人のものではありません。皆さんと一緒に積み上げてきた時間にいただいた賞だと感じています」と喜びを表した。
ファッションに強く引かれるきっかけとなったのは、学生時代に出会ったマルジェラの作品だったという。中島さんは「そのカビのドレスは、それまで自分が持っていた美しさの基準を大きく揺さぶるものでした。発想ひとつで物の見方が変わり、それまで気づかなかった価値が生まれる」と振り返り、デザインとは新しい服を作るだけでなく、物の見方や価値観そのものを変えることでもあると考えるようになったと説明した。
テルマでは、日本の風土に根ざし、長い時間をかけて育まれた技術や感性を、現代にふさわしい形で提案することを大切にしている。中島さんは「私にとって時間とは、価値を失わせるものではなく、価値を育てるものだと思っています。効率や合理化だけでは測れない人の手や経験、そして時間の積み重ね。そうしたものが美しさとなり、着る人の人生に寄り添うような服を作りたいと考えています」と語った。
今後については「着る人とともに時間を重ね、人生の一部となり、長く愛される服を作り続けたいと思います」と抱負を述べた。
鯨岡阿美子賞ビームス設楽洋、創業50周年を機に日本文化を世界へ

設楽さんは、1976年に東京・原宿の約21.5平方メートルの店舗から始まったビームスが、2026年に創業50周年を迎えたことを振り返った。創業時に25歳だった自身も75歳となり、節目の年の受賞に感謝した。
創業当初から、働く人や関係する人が幸せになる会社を目指してきたといい、その理念は「ハッピーライフソリューションカンパニー」から、会社の枠を超えた「ハッピーライフソリューションコミュニティーズ」へと発展してきたという。
今後は「セレクトショップからカルチャーショップへ」という方向性を掲げ、日本文化を世界に発信していく考えを示した。設楽さんは「日本のものづくりや物選びのセンス、食、ホスピタリティ、そして精神性。そういったものは、世界に誇れる素晴らしい文化だと思います」と話し、次の100年に向けて、ビームスがその文化を世界に伝えていく役割を担いたいと語った。
さらに「これからも明るくて楽しい社会現象を起こしていく、そういった集団でありたいと思います」と今後の抱負を述べた。
鯨岡阿美子賞故・小室知子、長女が語る三宅一生を支えた母の美学

故・小室知子さんに代わって登壇した長女の小室登子さんは、「小室さんが生きている間に受賞してほしかったねという声をたくさんいただきました。でも、生きている間だったら、きっと母は受賞を辞退したと思います。それほどまでに裏方人生を徹底的に生き抜いた人でした」と振り返った。
知子さんは1970年に三宅一生さんとともに事業を始め、マネジメントプロデューサーとして活動を支えてきた。登子さんは「一生さんの夢を、あらゆるネットワークと仁義、知恵と工夫と、こんちくしょうで支えた母」と表現し、「助けてくださった一つ一つの恩義を決して忘れず、誰が掘った井戸なのかを決して忘れない仁義を貫き通したからだと思います」と語った。
また、知子さんが自身の功績を表に出すことを好まなかったことに触れ、「代表権を持つ者が表に名前を出すといった粗野なまねを嫌い」と振り返った。若いクリエイターの成長を支えてきたことにも言及し、かつて母親のもとで働いた人々から「小室さんにはよく怒られたけど、それ以上に愛情をたくさんもらいました」という声が今も寄せられていると紹介した。
話題賞デサント「新水沢工場」、国内生産への覚悟

デサントの代表取締役社長、小関秀一さんは、かつて商社で海外生産を推進していた経験を振り返り、国内工場に対する考え方が変わった経緯を語った。
「これからは海外生産だ、日本で作る時代じゃないと言って、輸入をどんどん促進していました。7年前にデサントに来て水沢工場を見た時も、古いし50年もたっているし、ちょっと厳しいかなという商社目線で見ていたんです」と説明。その後、工場の可能性を再認識し、「この工場は何とかなるんじゃないか、変えられるんじゃないか。これぞ日本、これぞ日本の商品だということで、よみがえらせることができるんじゃないかと思いました」と振り返った。
新工場には約30億円を投じたといい、国内での生産を続ける覚悟を強調した。「これがデサントを象徴する工場であり、代表する商品を作る工場であるという覚悟でやっています」と語った。
水沢工場では、約280工程を経て年間約2万5000着の水沢ダウンを生産している。修理にも力を入れており、2025年には約1500着の修理依頼があったという。小関さんは「そのうち半分以上は購入から5年以上たったものです。有料でもいいから修理してほしいという依頼で、長いものでは8年、9年使われている商品もあります」と紹介した。
工場では修理専任のスタッフを配置し、過去の製品に使用した素材も保管しているといい、「同じ素材で修理をするということをやっています。これが私たちの工場の最大の自慢です」と述べた。
テルマが受賞記念プレゼンテーション 過去と最新作を組み合わせたショー

表彰式後には、中島さんによるテルマの受賞記念プレゼンテーションが行われた。黒地に鮮やかな黄緑色の柄を配したルックや、東京の夜景をプリントしたコートなどが登場。会場には鏡を配置し、モデルの後ろ姿や服の背面も見せる演出を取り入れた。
中島さんによると、ファーストルックには約5年前のファーストシーズンのシルエットを使用し、最新作から過去のシーズンの作品までを組み合わせたという。受賞の挨拶でも触れた時間の価値について、今回のプレゼンテーションにも反映したと説明した。
鏡を使った演出については、服を360度から見せ、特に後ろ姿をしっかり見せたいという思いがあったと説明。限られた会場に奥行きを持たせる狙いもあったという。
今回の受賞については「ようやくスタートラインに立たせていただいたという思いでいっぱいです。これからも精進します」と語った。







